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大聖寺本坊山門

山号を恵龍山(けいりゅうざん)と称し、今をさかのぼる1270年余年前・美作国建国の頃、天平10年(738年)に聖武天皇の勅令によって行基菩薩が開山しました。

開山以来、山岳仏教の聖地として五院(不動院,中院,奥の院など)十八坊舎(松の坊,池の坊,上の坊,地蔵坊など)の塔堂伽藍を誇り真言密教(宗祖、空海)の根本道場として信仰をあつめ西の高野山と称されました。

しかし、天正6年(1578年)頃、秀吉の上月城攻めに始まるいくたびかの戦火により塔堂を焼失しました。

 

現在の本堂不動院・本坊客殿など主な建造物は津山城主 森忠政公(本能寺の変で信長と共に討ち死にした森蘭丸の弟)によって慶長9年(1604年)頃に城主祈願所として再建されました。

また当山は、歴代貫主(住職)が、京都蓮浄院(京都御室御所、塔中寺院)院主職をつとめ御所直轄寺院として高禄受祚の寺格を有しました。

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本堂不動院

 

【再建の物語】
津山城築城の際に東側の石垣が何度も崩落し、どうしても完成することができませんでした。
そこで森忠政公が東に何か災いがあると考え馬を走らせたところ焼け落ちた恵龍山大聖寺にたどり着きました。
森忠政公は寺の惨状を嘆かれ再建に力を注がれたところ、津山城の石垣の崩落も止り元和2年(1616年)13年の歳月をかけ、5層の天守、櫓・城門など80余棟に及ぶ大規模な城郭が完成しました。
このときから大聖寺は津山城主祈願所として森忠政公の庇護を受けたのでした。
なお、本堂不動院は開山当初、京都御所を向いておりましたが、このときから津山城を見守る向きに再建されたのです。